各国各様(マレーシア)
次に、マレーシアを例に考えて見ましょう。
Equal misery, equal happiness:「苦楽を共にする。」
まあ、日本人には解りやすいキーワードでしょうか。
マレーシアというのは、インドネシアに並び、東南アジアのイスラム教国です。
イスラム教は、15世紀にインドのイスラム商人からもたらされたのですが、極めて穏健ですし戒律も鷹揚です。人前でお酒を飲む人もいますし、顔のベールもありません。
さて、この鷹揚さ、穏健さがどこから生まれたのかというのが今回のテーマです。イスラム教徒というのは一般的には非常に厳しく、商売に於いては日本人など歯が立ちませんから、このマレー人(マレーシアのイスラム教徒のこと)の穏健さの起源は「契約紛争解決の為の普遍性の所在」という考察には格好の材料です。
イスラム教の生まれは言わずと知れたアラビアのメッカで、教祖であるマホメットはクライシ族という遊牧民族の生まれです。キリスト教と並び厳しい砂漠の宗教ですね。しかも遊牧民。彼らにとって貴重な財産は、日本人の様な土地(不動産)ではなく羊(動産)。そして羊は土地とは違って簡単に盗めてしまいますから、財産=命を守るためには人間関係も厳しいものだったでしょう。生活の基盤になっている所有権は人間関係のあり方に影響するのですね。
それに比べてマレーシアはこれも言わずと知れた熱帯の南国。バナナの起源の地であって、裸でも凍え死ぬことはありませんから、バナナの木の下で暮らしていれば、極端な話し、働かずとも一生暮らしていけます。
この砂漠の宗教の厳しさと、南国の安らかさが融合したのがマレーシアの穏健イスラムなのです。
生活の基盤となるのは森の果実ですが、これは天の恵みですから、この果実の所有権は「みんなのもの=総有:サークルの財産みたいな概念」です。みんなのものですから、ここで大切になるルールはそれを公平に分け与えること。即ち、「Equal misery, equal happiness」となるのだと私は考えています。
この「分け与える」という発想は、イスラム教の精神でもある「喜捨(進んで人に施しをすること)」の精神にも適っているようですが、本場の砂漠の国の喜捨とはちょっと違います。
砂漠の国の遊牧民は、自分の所有物である羊を上手に増やせれば豊かになっていきます。では、貧しい人々はどうすればよいのか。それは豊かな人から一匹羊を分けて貰い、それを種に増やしていくしかないのです。物乞いをするか盗むしかないのです。この点、自分で土地を切り開けばよい農耕民族とは違います。そうして、この物乞いをルール化したのが「喜捨」であり、盗みは厳しく罰せられるのです。イスラムでは豊かな人が貧しい人に「羊」を与えるのは当たり前であり、貧しくとも盗む必要はなく、富める人からの「喜捨」を期待すればよいのです。(実際、アラブの王宮には貧しい人が列を成しますし、イスラムでは金利を取ることが出来ません) これは「Equal misery, equal happiness」とは違いますね。
これに引き換えマレーシアの場合は、果実は天の恵みですから、実が生るかならないかは天のみぞ知るでみな平等です。取れるときは取れる、取れないときは取れない、まさに「Equal misery, equal happiness」です。 私利(=富の偏り)を前提とした砂漠イスラムの喜捨と違い、私利は否定されます。
この点、日本人の「on the same boat」と起源が違いますが、似ています。

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