2009年3月18日 (水)

電子文具でのオタクチックな勉強法

脳のノモスをなんとか更新しようと思っているのですが、司法書士試験対応の方に集中していてなかなか時間が取れません。

試験対策の方はといえば、平日は朝5時前後から会社につくまで、朝に平均3時間、昼休みにおにぎりをほおばりながら1時間、帰りの電車の中で1時間と合計5時間、週末は朝起きてから夕方まで買い物・食事(料理して食べて飲んで洗って)を除いては殆ど過去問に取り組んでいます。

甲斐あってか、過去問正解率は95%を超え、書式はどちらかというと得意な方なので、なんとか勝負の土俵には上がれるかなという感じです。

ところで、最近の電子文具にはとっても便利で楽しいものがあります。皆さんのご参考までに、私が最近取り入れた勉強法をご紹介します。

1.単語帳の作成
過去問を解いていて即答できないような問題があったり、新たに発見した論点があった場合に、それをポメラ(キングジムの電子メモ)やblackberryに書き込み、問題を自作する。

2.単語帳の利用
その自作問題をエクセルに転記し、メモリボ(コクヨの電子単語帳)に転送して利用する。

3.単語帳の更新
エクセルでマクロを組んでPCでも解く。解いていくと又あらたに疑問が生じたり、問題を作り変えたくなるので、それは直ぐにエクセルに反映し、メモリボに転送する。

メモリボには問い、回答にそれぞれ48文字という制限があるので、端的に論点を整理して問題化・回答化する必要があるので、この作業がかなり良い勉強になります。

又、自分で問題を作ると本試験出題者の意図をつかまえやすくなりますし、作った問題は過去問の出題形式とは外れることも多いので、本試験のイレギュラー問題への対策にもなりそうです。

私はこれで、1000題以上も問題作成しまだまだ増殖中です。

2008年3月14日 (金)

酔っ払いのたわ言③ヤングマン

突然乱入した私に、当然のように視線は集まります。

「合コンの席への乱入」

これは一歩間違えば命取りです。

だから最初が勝負。 突然の乱入に、相手が狐につままれている内に自分のペースに持っていかねばなりません。

当時流行っておりました、ベンジャミン伊藤の「人の迷惑顧みず、やってきました電線軍団!」ばりの口上を述べる。これは応援団上がりだから板についたもの。 この段階ならまだ怒り出す人(だいたいは男)はいません。

その間に、たくさんの顔の中から、怒ってる人、怖がってる人、面白がってる人、これを見分けて、その中から「女神」を一瞬にして探し出さねばなりません。

「女神」が見つかれば、半ば目標達成。 荒海に投げ出された哀れな子羊にも一分の希望が沸いてきます。

彼女を味方につけるように微笑を返し、彼女の呼吸に合わせて語れば、怒りかけた男どもも暫くは治まります。

そうして、ヤングマン「YMCA」のイントロを始めるのです。

「チャーンチャチャーン、チャチャチャチャチャチャ、チャーチャチャーン、ヤングマン! さあ立ち上がれよ!ヤングマン....」

ここまでくれば、女性陣は大丈夫。 残るは男性陣。 何とか私が敵ではないということを分ってもらわねばなりません。

「私は合コン荒らしではありません。皆さんの幸せの為にやってきたのです」

これが伝わらなければ、いくら女神が応援してくれても後で袋叩きです。

不安ながらも歌は中盤、そしてこのフレーズまで持てばもう大丈夫

「そうさ Y.M.CA.、Y.M.C.A....鬱など吹き飛ばして君も元気出せよ!」

ここでの「君」は勿論、男たち。 「私はあなた達の引き立て役」 「合コンを成功させるための引き立て役」

こういうメッセージを込めて、ひとりひとりにアイコンタクトとシューティング。

そして、皆で、「Y.M.C.A.」の嵐。 荒らしならぬ嵐。嵐。嵐。

これで、目標は無事達成。 盛り上がる雰囲気の中、襖を開けて引き下がり、お役ごめん。

有難く、先輩方からの杯を頂くのでした。

これを何回やらされたことか。。。

(おしまい)

2008年3月13日 (木)

酔っ払いのたわ言②ヤングマン(その1)

学生時代から良く飲みました。

あの頃(80年代初頭)は、「コンパ」と呼んでいましたが、クラブでの飲み会はしょっちゅうありました。

私の所属は「詩吟研究会」と「茶道部」で、 文化部ですから体育会ほど激しくはありませんが、下級生はそれなりに「芸」を披露させられます。

「詩吟研究会」は、歌声自慢の連中の集まりですから、今のような「カラオケ」があればそれで自己満足できたかもしれませんが、当時はそんな気の利いたものは無く、座敷でのアカペラです。

まあ、内輪でやっているやっている分にはまだ可愛いものなのですが、男ばかりで(当クラブは男だけ)歌を歌っていてもつまらない。 でもって、酒も進んで「詩吟研究会のやる芸でだから観客を喜ばせなくてはならない!」、なんて意気が上がってきたら、これがいけない。

で、ターゲットは「合コン」。

別に「歌う合コン」を企画するという楽しいお話ではありません。

もてない男達のひがみで、仲良く合コンをやっているチャラチャラ男達に邪魔を入れてやれ! ということなんです。

下級生は手下ですから、上級生の言われるままに何でもしなければなりません。

私はしがない下級生でした。 隣の部屋では和気あいあいと合コンの嬌声が聞こえてきます。

「早く行け!」

上級生の厳しいお言葉。

しがない下級生は、意を決して、艶かしい合コンの部屋と、むさくるしい詩吟青年の部屋とを仕切っている襖を、サッと開いたのでした。

合コンの部屋は一瞬静まり、視線が私に集中します。

最初が勝負です。

(続く)

2008年3月12日 (水)

酔っ払いのたわ言 ①ランナーであるが故に

人から聞くと、私は、決して酒癖が悪い訳では無いのですが、「程ほど」というのがなかなかできない。

ある一定量を超えてしまうと、もう止まらない。二次曲線的に酒量が増えてしまうのです。

もちろん、記憶が無くなるなんていうのは日常茶飯事。 そんな翌日は二日酔いで一日役立たず。

それでも若いころは、飲みすぎると気持ちが悪くなってトイレに駆け込んだり、どうしても飲めなくなったりしたものですが、最近はエンドレスに飲んでしまう。

なんでこうなってしまったの?????

ランニングが悪い!

ランニングさえやってなければ、こんなことにはならなかった!!!

「八つ当たりするな!」とランナーの皆さんからしかられそうですが、それも覚悟の上での言明です(キッパリ)

なんでランニングが悪いかって言うと、走っているおかげで、①痩せてしまった、②身体が強くなってしまったからです。

酔っ払いになる為のステップ(その1)

同じお酒の量を飲んでも、体重が重ければ薄まります。でも、痩せてしまったおかげで飲んだお酒は脳を直撃します。緩衝材がないんです。

で、一気に正気を失い自制が聞かなくなる→二次関数的酒量増

酔っ払いになる為のステップ(その2)

身体が強くなってしまったことで、そこそこの量を飲んでも、身体は元気で活動していられる。で、記憶を失う程飲んでいても、皆を二次会に引っ張っていくし、そこでもガンガンのんでしまう。

酔っ払いになる為のステップ(その3)

それでも酒癖が悪ければ周りがお酒をやめさせるのでしょうが、私の場合は、自分では分りませんが、とっても陽気なお酒らしく、周りがどんどん酒を薦める。

度重なる記憶喪失に反省して自重していると、「あなたが酔っ払わないと面白くない」と人の気もしらないでお酒を勧められる。

酔っ払いになる為のステップ(その4)

結局二日酔いになって翌日、「昨日のことは覚えていない」と吐露しても、周りの連中は、「そうだった? 普通だったけど」とテンで気にかけない。

酔わされて、ひどい目にあわされても、元気で陽気であるが故に周りに私を酔わしたことへの罪悪感が育たない。

朝帰りをして、酒抜きにそのまま朝ランしたなんて話をしようものなら、益々酒注ぎ攻撃に遠慮がなくなる。

ということで、ランニングが悪い! という結論なんです。

(続く)

2008年2月20日 (水)

八重洲の母(最終回)

八重洲の母と、たむろする人たちとからは、色々なことを教わったような気がします。

この時の経験は私の人生の中でも大切な場所を占めています。確かに私の価値観に影響を与えました。

ただのヒトとして、肩書きや立場などとは関係なく、ただのヒトとして。 向き合うこと。

目の前にいる相手を、その人の「今、ここで」の姿に重きを置き、そのままに見つめること。 感じ取ること。

これは、全てのことに通じることだと思います。

お茶の世界の「一期一会」にしても、囲碁の世界での「本手」にしても、ましてや、仕事や家庭に於ける人間関係ににおいて、「今、ここで」の相手が、全ての始まりであり終わりでもあるわけです。

マラソンでもそうかもしれませんね。 自分のレース計画は一旦忘れて、「今、ここで」の「自分」の状態を正しく感じ取れなければ、レースは失敗してしまいます。 自分とも向き合うこと。

こんなことを、今、実感を持って語れるのも、あの時の経験があったればこそかな、と思えるのです。

それだけ、我々3人は、皆に溶け込んでいました。 いたつもりでした。 少なくとも自分達は。

でも、はた目から見たら違っていたんです。 我々は異常な、危険な取り合わせだったんです。

ある日、楽しく飲んでいる我々のところにおまわりさんがやってきて、「君達は知り合いかい」と質問されました。

もちろん、「そうです」と応えた訳ですが。

またある日、別のおまわりさんがやってきて、同じような質問をして行きました。

そしてまたある日、とうとう、おまわりさんから注意を受けました。

「事件に巻き込まれるかもしれないから注意しなさい」

「。。。。。」  もちろん、周りのみんなは気分を害しています。

無視しても、無視しても、又、おまわりさんはやって来ます。その度に、場の雰囲気が悪くなります。 こっちも、酒が入っているからどんどん反抗的になっていきます。

諦めざるを得ませんでした。 みんなに迷惑が掛かります。

みんなとは、それきりになってしまいました。

八重洲口を通っても、遠慮して、遠目に見るだけになってしまいました。残念ですがしょうがありません。

苦い思い出です。

そんなことがあったので、ブラジルで、道路わきのホームレスのそばで、つい昼寝をしてしまったのかもしれません。

言葉も通じず、こんどはホームレスに私が追っ払われてしまいましたが。

(終わり)

2008年2月19日 (火)

八重洲の母⑤

「見ず知らずの人におごられる訳にはいかない」っていう、「武士は食わねど高楊枝」的な気風に恐れ入ってしまったことを前回お話しました。

実は、もうひとつ恐れ入ってしまったことがありました。

彼らは、仕事が出来ないとか、したくないと言う訳ではなく、仕事が見つかる日もあれば見つからない日もある、いわゆる不安定な日雇い労働者たちでした。

ある日、その仲間の一人が、袋一杯のお酒とおつまみを抱えてやってきました。

顔色からすると、どうやら、今日は仕事にありつけたようです。

すると、その「今だけリッチ」な彼は、そこにいるホームレスの仲間たちに酒とつまみを配り始めました。 もちろん、いつものごとく、我々もおこぼれに預かってしまいます。

あまり景気良く配るもんだから、よっぽど稼いだんだなあ、と思ったらこれが違う。

今日稼いだ「全財産」を、この酒とつまみにつぎ込んだというのです。

気前がいいのか計画性がないのか、「これじゃあいつまでもホームレスだよな」とつい頭の片隅で思ってしまいました。

おごられる方もおごられる方ですよね。(自分のこと言えませんが) 少しは遠慮すれば良いものを、当然のようにおごられちゃって。

ちょっと考えれば、明日の仕事があるかないか分からないんですから、「備えあれば憂い無し」って考えないのかなあ。

そう思ったのは大間違いでした。

彼らは、日雇いの不安定さを、仲間と「財布をひとつ」にすることで乗り越えようとしていたのです。

仕事にありつけたものが仕事をして、稼いだお金はみんなのもの、その日に使って宵越しの金は持たない。

持ちつ持たれつ、お互い様。 「稼いだから分け前をくれてやる」というような、おごりもなく、貰ってばかりいることを恥とすることもなく。

そう八重洲の母に教えてもらいました。

彼らは本当の仲間なんです。

(次回最終回)

2008年2月15日 (金)

八重洲の母④

新聞紙の上にあぐらをかき、ごくごく自然にお酒を頂いて、こっちも既に一軒回った後だからお酒もよくよく回っていて、四方山話なんぞをするわけなんですが、まあ、これが話しをするというか、話を聞くというか、要はおじいちゃん達の身の上話なんです。

やれ、私は東北の出身でいついつ東京に出てきて、やれ、女房にいい格好して出てきたけれどうだつがあがらなくて帰れずじまいで、やれ、子供はこれこれの年恰好で、やれ、そいつがお前さんに良く似ていて、云々と、しまいにゃ私の手を取って、ああ、息子も手がこんなにすべすべで、と撫で回す始末。

こっちも、これが自分の親父なら気味が悪くてしょうがないはずなんですが、何故か他人だと素直になれて、一緒に涙ぐんだりして。

それじゃあ、まあまあお返しに一杯と、先ほどKioskで買い込んだお酒を取り出して来たわけなんですが、これがいけない。

見ず知らずの人におごられる訳にはいかない、というんです。本当に聞かない。

これには正直びっくりしました。 恵んでやろうなんていうおごる気持ちではなかったんですが、やはりどこかで見くびっていたのでしょうか。 見透かされた気がしておそれいってシマイマシタ。

「あなた達は(買わなくて)いいのよ」といったおばちゃんの言葉は、こういう意味だったんですね。

その日はあっさり引き下がるほかなく、有難く、お酒をご馳走してもらう一方でした。 その後も、何度かおばちゃんの姿を見かけては混ぜてもらい、そうして、何度目の酒交の時だったでしょうか、ようやく我々が差し入れたお酒を飲んでくれるようにもなりました。

(続く)

2008年2月14日 (木)

八重洲の母③

そしてKioskでお酒を買っているその中年女性に、とうとう声をかけた訳です。

案の定、そのご夫人は極めて普通の方で、その方曰く、そこでたむろしているホームレスの彼らとは長い付き合いでだそうで、時々酒を買っては一緒に飲んでいるというのです。

「みんな気のいい人たちよ」

というご夫人の言葉は、若い盛りの酒好きアニマル3人組にとっては誘いの言葉も同様でした。

「あなた達は(買わなくて)いいのよ」というご夫人の言葉を尻目に、Kioskで酒とつまみをさらに仕入れた3人は、そそくさとご夫人と一緒にホームレス軍団の中に入って行きました。

さて、新聞紙の敷かれてある上に座り込んだのですが、違和感がない。

自分に無いのか相手に無いのか、はたまたその両方に無いのか。とにかく違和感がない。

こっちは背広、あっちは着のみ着のままの姿ですから、はためら見たら何とも不思議な風景だったはずですが、本人たちには些かも違和感がない。

差し出されるままにお酒を頂いたのも、ごくごく自然な流れでした。

(続く)

2008年2月13日 (水)

八重洲の母②

当時(83年頃)の東京駅は、今とは違ってそれはそれは寂れたものでした。しかも、八重洲口ですから、古びれた飲み屋も多く、我々を含む酔っ払いもうろうろしていて、お世辞にも「東京の中心」と呼べるようなところではありませんでした。

浮浪者というかホームレスの人たちもたむろしていて、そこで夜を明かすのでしょうか、その日も、10数人のホームレスらしき人たちがKioskのそばで座り込んでいました。

目を中年の女性に戻すと、しこたまKioskでお酒とつまみを買ったその女性は、その包みを抱えてホームレスの集団の方に近寄り、なんとその包みを差し出しているではありませんか。

「ふうん、こういう慈善家さんもいるんだ」と軽く思いながら、その日はその場所をただ通り過ぎたのでした。

その後もたびたび同じ様な風景を目にしているうちに、なんとも分らぬ不思議な雰囲気に、我がアニマル3人組の興味が引かれていきました。

そしてある日、Kioskでお酒を仕入れているその女性に声をかけてみることになったのです。

(続く)

2008年2月12日 (火)

八重洲の母①

「ブラジルでの珍事」で次の様にお話して1ヶ月が経ってしまいました。スイマセン。

quote:

ホームレスに嫌われるような人間に落ちぶれてしまったのか、と残念に思い、で、思い出したのが、20数年前の東京駅でのホームレスの人たちとの出会い。

これについてはまた次回。

unquote:

 

このお話の続きです。

今はもう、全く変わってしまい、ニューヨーク5番街の様になってしまった丸の内に比べ、東京駅の八重洲側はまだ昔の面影を残しています。

でも、今はもう跡形もなくなってしまったのは、八重洲口の"あの"Kioskと、そこで売り場を仕切っていたおばちゃんと、八重洲の"おかあちゃん"です。

それはもう今から24-25年前の事になります。

会社でアニマル3人組と呼ばれた、オレッチたち新入社員は、残業で残っていると、大抵は上司から飲みに誘われ、楽しくもない酒を飲むために、六本木だ、銀座だと連れまわされていました。

そんなアニマル3人が、上司から逃れて、思い通りに飲みに行けるのが、八重洲口の飲み屋だったのです。

毎日起こる、社会の不思議なことや、男と女の話などを酒の肴に、いくらでも飲めた毎日でした。

そうしたある日、Kioskで中年女性がお酒と酒のつまみを、とても一人では消費しきれないという量を買い求めている姿にであったのです。

それが、いかにも飲んべいの中年女性だったら、いつもの通りそこをただ無関心に通り過ぎていた事でしょう。 でも、何かが違っていたのです。

そう、身なりがきちんとした、ご立派な中年女性だったのです。

「こんな"女性"がなんでこんなに酒を買い込むのか? それもKioskで」

そう、アニマル3人組が思ったのも当然だったと思います。

(続く)

2008年1月17日 (木)

ブラジルでの珍事

酒にまつわる話題をとの見えないプレッシャーを受けたので一題。

今は行くことも少なくなりましたが、有るプロジェクトが盛り上がっていた頃、毎月ブラジルに出張していました。

週末をブラジル(サンパウロ)で過ごす事も多く、当然にロングの朝ランになる訳です。

朝飯(日本食ビュッフェ)を食べて、8時過ぎにホテルを出て20分程走ったところにあるイビラプエラ公園がトレーニング場でした。木立の下を走る一周3km程度のコースがあり、2時間半程走り、そこから20分程のところにある日本人街で昼飯を食べる、というのがお決まりのコースです。

12時位に食堂に着く段取りとなっている訳ですが、当然のごとく、食い物だけでは終わるはずない。例えば、野菜炒め+トンカツ定食を頼んで、先ずは、付け合せのサラダでビール一本。その後、カイピリーニャというサトウキビから作ったウォッカに切ったレモンと氷が入っているカクテル(水は入っていないのでかなり濃い)、これを野菜炒めと一緒に2-3杯。なぜ、野菜炒めかというと、冷めてしまうからです。

これで1時間程も過ごした後、漸く、トンカツに取り組む。このトンカツがまたカイピリーニャに良く合うもので、さらに2-3杯。食事が終わる頃にはもう気分よろしく出来上がってしまいます。 終わると、大体が2時を回っているので、のんびりホテルまで20分程の道を歩いて帰るわけですが、しこたま酒が入っているので眠い。帰るのが億劫になる。

それでもよたよた歩きながら帰るのが常でしたが、あるとき、橋の脇にある緩やかな傾斜が目についた。昼寝にぴったり。向かいにホームレスと思われる母子が陣取っていましたが、白昼だし、車の往来は多いのでまさか襲われることもなかろうと安心をくくって一眠り。

と、しばらくして気配を感じたので目を開けてみると、さっきのホームレスの母が近寄ってきて、「ポリス、ポリス」と話しかけてくる。

こっちは、英語ならともかくポルトガル語はちんぷんかんぷんなのですが、私の事をポリスと勘違いして恐れているのかと勘ぐってみて、「NO、NO ポリス」と答えて寝ようとしたが相手には拉致があかない。こんどはあっちへ行けという手振りもつけて「ポリス、ポリス」。 まさか、この母が張り込み中のポリスな訳もあるまいにと思いながらもしょうがなくホテルまで帰りました。

翌日、駐在員にこの話をしたところ、まず駐在員の第一声は「よくもそんな危険なことをしたな」と。まあそうかもしれないが、こっちには取られるものは何にもないし。それにしても「ポリス」の意味が解らんと駐在員に問えば、答えて曰く、「そりゃ、日本人がそんなところで寝ていたら、こりゃ危ないとポリスが注意しにくる。そうなると、その母子もついでにせっかくのねじろを追っ払われることになるので、迷惑だったんだろう」と。

ホームレスに嫌われるような人間に落ちぶれてしまったのか、と残念に思い、で、思い出したのが、20数年前の東京駅でのホームレスの人たちとの出会い。

これについてはまた次回。